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「本当の自分」の心に従って生きていく。

寿留女さん
取材日 2024年12月17日/文・写真 Nao Yoshii
二児の母として、妻として、そしてひとりの人間として、見る人の魂を揺さぶるような、力強い絵を描く画家の寿留女さんにお話を伺いました。
画家寿留女/Surume
年齢 37歳
移住時期 2011年5月
移住エリア ちはら台地区
お気に入りの場所 大福山
プロフィールデータプロフィールデータ

将来は絶対画家になる

寿留女さんが絵を描き始めたきっかけは、5歳の頃。
新築の家に母が新しい絵を買って来ました。玄関に飾られたその大きな花の絵を見た寿留女さんは、”空からスポットライトが当たっているような感覚”を覚えたといいます。
母からの「素敵な絵でしょう、あなたも画家になる?」という言葉が響き、「自分は将来絶対画家になる」と思ったそうです。
この時の光景は今でも鮮明に覚えているそう。

このきっかけから花には特別な思い入れがあり、スルメさんの作品には、植物、花をモチーフにした素敵な作品が多くあります。

植物や花をモチーフにした寿留女さんの作品

絵を描き続けるそして市原での暮らし

授業中も先生の話を聞かずに絵を描いていたほど、子供の頃から絵を描き続けることが好きだった寿留女さんですが家庭環境の事情などもあり、10歳の頃に「画家になる」という夢を諦めてしまったそうです。

それからは適当に学校に通い、やりたくもない仕事をする生活を送り「自分のやりたいことは何一つ叶わない」と思っていました。
それでも絵を描くことはずっと好きで続けていました。

そんな生活を送っていた寿留女さんですが、結婚を機にご主人が住んでいた、市原市での生活をスタートさせました。
市原市での生活は、寿留女さんにとって新たなスタートでした。
ちはら台の印象は「すごく綺麗だし、子供ものびのびしてるし、子供を育てるにはいい町だなと思った」と語ります。

その後、2人のお子さんを授かった寿留女さん。田舎暮らしを希望していたものの、遊歩道沿いに保育園や学校がたくさんあり子供の人数も多く、車に頼らずに子供たちが生活できる環境が整っていることもあり、ちはら台に住み続けることを決意しました。

本当の私で生きていいんだ

子育てに追われる日々の中で「何のために生きてるのかわからなくなった」という寿留女さん。
そんな時、子供と一緒に見た映画「モアナ」のクライマックスで、主人公が言う「本当のあなたになって」という言葉を聞いた時、寿留女さんはたくさんの涙と共に画面から風が吹いたような感覚を覚えたといいます。

「本当の私は画家だ、小さい時からそう思っている。本当の私で生きていいんだ」と強く思い、再び絵を描く道へのきっかけとなったそうです。


黙々と絵を描く寿留女さん(写真提供:寿留女さん)

アーティストとして

寿留女さんは、子供の頃から絵を描くことが好きで、絵を描くことで人を感動させたいという気持ちがありました。
幼少期に大きな花の絵を見た時の「空からスポットライトが当たっているような感覚」
モアナを見た時の「画面から風が吹いたような衝撃」
今度は自分の描いた絵で、魂を震わせるような感動を与えたいと言います。

人を感動させるものは何かと考え、「魂」や「愛」や「神」といった見えないものに触れた時に感動するのではないかと寿留女さんは言います。
「自分の絵を飾ってくれた空間とか、その絵を見た全ての人の心に愛と光が差し込むような、その愛の絵を描きたい」という言葉からは、絵を通して人々に何かを与えたいという強い気持ちが伝わってきます。

また、アーティストは「むき出し」であるが故に傷つくことも多いけれど、それでも自分の表現を貫くことに意味があると考えているそうです。

絵を描く前には必ずお祈りをするそう(写真提供:寿留女さん)

これから


「これからもずっと絵を描き続けたいです。命尽きるまで」
自分の絵を愛しているという気持ちと、まだまだ足りないという気持ちの両方があると言い、もっと良い絵を描きたいと語ります。

また、展示の機会を増やしたいと考えており、その中でも「酒蔵で個展を開きたい」という夢があり、お酒が好きで穀物の絵をよく描くことも理由の一つだそうで、ユニークな発想に心が惹かれます。

年末年始に行われた寿留女さんの個展

移住を考える人へひとこと

最後に、市原市への移住を検討している方へメッセージを送ってくれました。

「市原市は思っているよりもいろんなものがあって、癒されるにも働くにも遊ぶにも、なんでも揃う町なので、ぜひ市原でお待ちしております!」

リンク

寿留女さんinstagram

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