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「この街でまた、演奏したい。」病気と再出発、パゴージで広がる輪

青柳 智里さん
取材日 2025年7月20日/文・写真 Mizuki Taniguchi
ブラジルの日常から生まれた自由な音楽「パゴージ」。 カーニバルのような派手さはないけれど、誰でも輪に入れて、笑って、叩いて、歌える。 病を乗り越えて、この音楽を市原の風景に重ねながら多くの人と分かち合っている青柳さんに、市原での暮らしを選んだ理由を伺いました。
パーカッショニスト青柳 智里/Chisato Aoyagi
出身 五井
居住エリア 五井地区
お気に入りの場所 上総村上駅
プロフィールデータプロフィールデータ

考えごとをしているときや、ふとした瞬間に、つい机や膝を叩いて軽快なリズムを刻んでしまう青柳さん。無意識に、日常の所作のなかに、ごく自然にリズムが表れているその姿はまさに“パーカッショ二スト”そのものです。

市原市出身の青柳さんは現在、この地で子育てと仕事をこなしながら、ブラジル音楽を通して、市原市を中心にサンバの楽しさを体感してもらうイベントやライブ活動を精力的に行っています。
青柳さんは、結婚してしばらくは都内に程近い市川市に住んでいました。そんな彼女が地元市原に戻り、そこで音楽活動をする理由はなんなのでしょうか。

いちはらでパゴージを奏でる

青柳さんが打楽器を始めたのは、千葉東高校のマンドリン楽部に入ったことがきっかけでした。
そこでコンガやティンバレスなどに触れ、打楽器の楽しさを知ったそうです。高校で打楽器に打ち込んだ青柳さんは、大学でも音楽を続けたいとサークルを探していました。その時に「一番楽しそうだった」という理由でブラジル音楽のサークルに入ることを決めました。サークルに所属してすぐに立った舞台は浅草サンバカーニバルでした。

”爆裂系パーカッショニスト”と言われた青柳さん

大学在学中にブラジル音楽の多彩な魅力を知った青柳さんは、日本で広く知られている「王道のサンバ」だけでなく、ブラジル各地に根ざしたさまざまな音楽に魅了され、自らも演奏するようになりました。

青柳さんが撮影したブラジルのリオのカーニバルの様子。


まだまだ知られていないブラジル音楽の魅力


Cristo Redentor/クリスト・ヘデントール リオデジャネイロにて撮影:Chisato Aoyagi

ブラジルの国土は日本の20倍、人口は約2億1千万人です。

「一口に”ブラジル音楽”と言っても、地方ごとにさまざまな特色を持ったジャンルがあるんです。」

そう教えてくれた青柳さんの活動の中心となっているサンバは、「パゴージ(pagode)」と呼ばれる、もっと日常の中に溶け込んだサンバです。裏庭や街角に楽器を持って集まって、お酒を飲みながらみんなで叩いたり歌ったりして楽しむ、そんなスタイルの音楽だそうです。

他にもサンバとは全く異なる「フォホー(forró)」や「セルタネージョ(sertanejo)」と呼ばれる田舎の音楽もブラジルで人気があり、青柳さんがライブやステージで演奏する際、日系ブラジル人が多く住む街ではこれらのジャンルを希望されることも多いそうです。

そんな多様なブラジル音楽を気軽に体験してもらうために定期的に開催している、『サンバ体験』イベント。この日は、こみなと待合室の敷地内の緑あふれる庭先で開催されました。

仲間で集まってパゴージを奏でている青柳さん。後からフラッと来た人も、その輪に加わります。

小湊鐵道の発着を一目見ようと訪れた親子や、待合室に立ち寄った人々の興味を引きます。庭先から聴こえる軽快な音楽は、どんなお洒落なBGMよりも、市原の休日に合うものでした。

体験会に参加していた方は、「サンバを踊るのが好きでした。楽器をやってみたいと強く思っていたけど、ヘタクソだし、どうにもハードルが高かった。でもこの体験会なら音楽の経験がない自分も気軽に参加できるから、すごく楽しくて、参加できる時は参加してます」と話してくれました。

ある人はアイスを食べながらフラっとやってきて、楽器を取り出しセッションに加わる。その光景は、とても自由で、気軽にコミュニケーションができる、青柳さんが愛するサンバそのものです。

幅広い年齢の人が集まり、楽器を奏でます。
リズムキーパーの青柳さん。指揮をとることで、雑談のように自由に散らばっていた音が一つになっていきます。
テーブルを囲う光景は、まるでガーデンパーティー。
未経験でも、同じリズムを繰り返すうちにコツを掴め、気づいた時には”ノリノリ”に。
子供も楽器に夢中です。
晴天のこみなと待合室に馴染むパゴージのリズム。




こうして結婚を経てからも市原市を中心に、現在も関東各地でその魅力を発信し続けている青柳さんですが、順風満帆だったわけではありません。彼女に降りかかった出来事は、音楽どころか、日々の暮らしさえ手放さざるを得ない、人生を大きく揺るがすものでした。

出産直後、脳梗塞で倒れ、失語症に

結婚して市川市に住んでいた青柳さんは、出産して退院したその日に、脳梗塞を起こして緊急搬送されてしまいます。

一命を取り留めたものの、あまりにも急な出来事を受け止めることもできず、頭の中が真っ白になったといいます。脳梗塞の後遺症として残ったのは、失語症と右手の麻痺でした。
音楽を続けるうえでも、また、生まれたばかりの子どもを育てていく母親としても、とても厳しい現実でした。

リハビリを始めてから、少しずつその状況を受け止められるようになり、初めて将来への不安を強く意識するようになります。
この現状で育児を続けるのは難しいと判断し、彼女は実家に戻ることを決めました。

一通の演奏依頼のメッセージで再び立ち上がる

それからしばらく実家でリハビリをする日が続きました。
大好きだった音楽活動も休止し、不安を抱えながら、ただ日々を過ごしていたと言います。
そんなある日、青柳さんのFacebookに、一通のメッセージが来ます。
それは市原市でブラジル音楽を演奏してほしいという依頼。
「市原 ブラジル」で検索して『広報いちはら』に掲載された際の青柳さんのブラジル音楽の活動の取材記事を見た方からの連絡でした。

地元のためになるなら、と、音楽仲間の力を借りながら、久しぶりに演奏活動を再開しました。

梨の木公園でのイベントは評判がよく、それがきっかけとなり次々に地元のステージや千葉市でのイベント出演が決まっていったそうです。そして青柳さんは、もっと市原でブラジル音楽の魅力を伝えていきたいと、そのままの流れで、参加型サンバ『パゴージ』の活動団体「Pagode Datiba」を発足させます。
不安を抱き、子供を育てながらのリハビリ生活を乗り越え、また動き出した人生に鳴り響くサンバの音楽は、自分自身をより前向きな気持ちにさせたといいます。



母になって気づく市原の魅力


子育てを始めてから、地元の子育てのしやすさにも気づいたそうです。久しぶりに帰ってきて思ったのは、広い公園がたくさんあること。

都会では数が少なくて狭い公園を取り合うような形になりがちだけれど、市原では子どもたちが伸び伸びと遊んでいるといいます。

「子供の公園デビューも、公園を独り占めでした。大きなショッピングモールやいろいろなチェーン店もあるし、家族で過ごす場所には困らない。子育てしやすい街だと思う。」

そう教えてくれた青柳さん。母になったからこそ気づく、市原の魅力です。

青柳さんが幼少期から過ごしたのは小湊鐡道沿線の上総村上駅のあたりです。
田んぼに囲まれたちいさな小学校に通っていました。

そこには青柳さんの原体験とも言える風景が広がっています。通学路の田んぼ道。田に水が入る時期は、懐かしい風景にいつも嬉しい気持ちになるといいます。
いつも心の中にあるそんな場所で、これからもサンバを広める活動を続けていきたいといいます。

自身で作曲した『市原ナンバー』にもその景色が反映されています。


再出発する力をくれたサンバ。再出発を温かく見守ってくれた場所、市原。

どこで演奏しても盛り上がるブラジルの音楽。



「ブラジル音楽の魅力は、なかなか知られていない。歌うだけ、楽器を叩くだけで、言語を超えて大人も子どもも楽しめる自由なコンテンツとして、たくさんの人に知ってもらいたい。市原のいろいろな場所で演奏したい。」と語る青柳さんの次なる目標は、上総国府祭りに出演し、そこで演奏することだそうです。そして、こみなと待合室での自主企画イベントも夢だと語ってくれました。



サンバに少しでも興味がある人、ぜひサンバで市原を盛り上げてみませんか。ハードルなんてありません。庭先で雑談するように始められるサンバは、市原でいつでもあなたを待っています!

リンク

青柳智里さん X

パゴージの活動団体「Pagode Datiba」インスタグラム

こみなと待合室


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